SharExperience

日々の暮らしで見つけた「誰かの役に立つかも」をつづります。

高校球児がかわいく見えたら大人の証。

白熱の甲子園が幕を閉じましたね。

 

私はもともとスポーツ全般見るのが大好きですが、

 

高校野球は格別です。

 

毎試合が一世一代の勝負!という感じで、

 

プロ野球にはない(ように私には見える)キラキラと、

 

ギラギラと、そしてキリキリとした空気がたまりません。

 

 

今年は金足農業という圧倒的な存在に引き寄せられて、

 

久しぶりに毎試合観戦してしまいました。

(仕事をそっちのけで・・・)

 

吉田投手の凄さや大阪桐蔭の正確なプレーなどは、

 

私が語っても・・・って感じなので割愛。

 

(両校ともただただすばらしかった!!)

 

今日は、私から見た高校球児像の変遷について、です。

 

 

子供の頃から夏は親や親戚と甲子園を見ていた私。

 

中学生くらいまでは、高校球児が大人にしか見えなかった。

 

自分よりもたった1個か2個しか年齢が違うなんて信じられなかった。

 

 

高校生。やっぱり球児たちは大人びて見えた。

 

テレビで真剣にプレイしている男性たちは、

 

自分と同い年とは到底思えなかった。

 

もちろん学校に行けば野球部の友達はいるのに、

 

それでも画面で見る球児は、私の何倍も偉い人たちに見えた。

 

 

大学生になって驚いたこと。

 

甲子園のグラウンドにいる球児たちの年齢を追い越したはずなのに、

 

やっぱり彼らが年上に見える。

 

19歳になっても20歳になっても21歳になっても・・・

 

普段は「年下は幼くてダメ」なんて生意気なことを言っている私だったけど、

 

どういうわけか高校球児は別格だったのだ。

 

大学を卒業して働き出しても、やっぱり彼らは「お兄さん」だった。

 

 

いつ頃からだろう。

 

30手前か、30過ぎか・・・。

 

働き始めて、甲子園をじっくり観戦することも少なくなってしまった。

 

最初から最後まで試合を見ることがないと、

 

お気に入りの学校というのもなく、地元が勝ったかのか、

 

勝ち進んでいるのは常連の学校なのか、ということを

 

チェックする程度に終わってしまう年も多々あった。

 

それと同時に、いつしかあんなにしっかりして見えた高校球児たちが、

 

とても可愛く見えてきたことに気づく。

 

 

以前は熱闘甲子園を学生目線(妄想で勝手にマネージャーになったり)

 

で見ていたのに、気がつけば母親目線で見ている・・・。

 

感動の種類も、選手やチームメイトの感情をなぞるよりも、

 

彼らの母親か叔母にでもなったような気分になって涙している。

 

 

あなたたち、みんなよくやったのよ・・・。

 

全員がお母さんの誇りよ!全員優勝よ!!

 

 

そんな気持ちでだあだあ泣いている(笑)

 

 

お前誰やねん。って感じなんですけど。

 

 

今思えば、私自身がすごく幼かったのかなって思います。

 

私は何の疑問も持たずに高校行って、大学行って・・と

 

割と何も考えず、大した苦労もせずに生きていて、

 

でも彼らが何かとてつもない大きなものを背負ったり、

 

とてつもないプレッシャーと戦ったりしていることは

 

何となくわかって、何となくすごいなーって感じだったんですね。

 

 

でも自分が就職をして、うまくいかないこととか、どうしようもないこととか、

 

だけど努力することとか、結果が出なくても意味があることがあるとか、

 

人と何かを一緒にすることとか、きちんと成果が出るって素晴らしいとか、

 

そういうことに30付近でやっと共感できるようになったのだろうと思います。

 

 

一試合一試合にひそむ悲喜こもごもを、

 

それを高校生たちが繰り広げているという事実を、

 

やっと大人として見られるようになったのだなあと。

 

そして、10代でそんな経験ができるなんて、やっぱりすごいなあと。

 

 

 

若者が一所懸命に何かをやる姿は美しい。

 

 

 

 

そしてかわいい。

 

 

 

今後私は高校球児を孫を見るような眼差し

 

見守るようになるのでしょうか・・・

 

その時は、自分が人生経験を積んだ証拠として受け止めることにします・・・